東日本大震災が発生して2年3ヶ月が過ぎました。3月11日に私はJAかもと瓜類・野菜等の意見交換に出席していた時に第一報が流れ、とにかく大きな地震が発生したとの知らせでした。全国から市場関係の方が出席されており会社に電話をかけても繋がらない状況でみんな動揺されていたことを思い出します。
また、現地に簡単に入れない状況や統一地方選挙も重なり、無所属改革クラブ2名で約2ヶ月後の平成23年6月5日〜7日に宮城県に入りました。
今回と同様に震災対策の副委員長である、宮城県議会議員の菅間県議に案内をしてもらいましたが当時はまだ通行止めの道がいくつもあり山間部から遠回りして現場に向かったことを思い出します。
今回、名取市・閖上地区・石巻市・女川町・雄勝町・南三陸町・仙台市の山間部と廻らせていただきました。今も所々に半壊のままの住宅が残ってはいるものの、当時の状況と比べると、ここに家が密集していたとは思われないくらいすっきりした何もない状況でした。何か見かけるとしたら工事関係者の人と重機とダンプ程度で地元の人影はあまりありませんでした。
しかし、閖上地区を視察していた時に地元の若い農家の方が小高い丘に「閖上」と大きく書かれた場所に芝桜を植えておられたり、雄勝町では商工会の会長さんを初めメンバーの皆さんがプレハブで日用品や食堂を営業され、南三陸町では元気な佐藤仁町長と再びお会いでき、「さんさん商店街」が町長と同じく元気があったのが印象的でした。廻らしていただいた所すべて復興に向けて一生懸命頑張っておられ、みなさんが言われるのが地元の方に早く帰って来て欲しいと言う事でした。
ただ現状は厳しく、例えば名取市を取ってみても住民アンケートでは元の場所に住みたいと希望する人の割合が少なく、復旧から復興段階に向けて厳しい状況です。
復興の進捗状況について、宮城県震災復興政策課の千葉課長より説明を受け意見交換をさせて頂きました。問題点として3点あり1点目として、復旧に関して技術職員が市町村も含め足りないこと。2点目に、全国的に景気の持ち直しにより被災地の建設作業員や建設資材が不足していること。3点目に、震災復興計画(H23年10月から10年間)で元に戻すだけではなくて10年後のあるべき姿を目標に進められています。しかし、住民アンケートでも分かるように住民が戻ってこられるか分からない状況で今後の地域づくりが上手くいくのか不透明であります。
今後、遠く離れた九州の熊本で支援ができることは、技術職員の派遣や資材不足など行政や民間同士で今以上に情報交換を密にしていくことが重要です。2年前の東日本大震災を思い出し、本当に何が必要なのかを改めて問い直すことと、宮城県も人・物・金が仙台市に一極集中しており、沿岸部の過疎化を目の当たりにした現状を多くの人に知ってもらうことが大切であります。
蒲島知事が林業・木材産業の現地視察で山鹿市鹿北町の現場に入られました。内容は森林経営計画の予定がされている場所と作業道の整備、高性能林業機械の稼働状況を見学するため知事と職員が森林組合の案内で視察されたとのことです。
ただ、今回の視察、知事が忙しく時間が取れないのは分かりますが、なぜ梅雨時(雨で危険な時期)を選ばれて林業の視察をされたのか。また、森林組合の話だけでなく、地元の林業家の話を聞く事ができなかったのかなど、知事が現場に足を運ぶのであれば、限られている時間を内容の濃い視察にするためにもっと工夫ができたのではないかなぁと感じました。
その後、平成23年度補助を受けて製材機械を入れている木材工業を視察され県庁に帰られたそうですが、例えば、知事が来られるというので、地元の関係者は知事に見て頂くための「見せるための仕事」をわざわざ仕立てたということで、大変だったという声もありました。そうなると、もう少し段取りを上手くやれなかったのかなぁと思いましたし、形式的な視察ではなく、本当に林業従事者の生の声、息遣いをわかってもらうための視察にならなかったのかなと残念な気持ちになりました。
もちろん県政のトップである知事自身が山に入ったり、製材工場に入られることはめったにない事であると思いますので林業関係者の一人としても喜ばしいことですし、ある程度現場のイメージが湧かれたのではないかと思いますので、今回の視察を今後の林業政策に役立てていただける事を期待いたします。
今の林業の現状は補助金を使って山から材木が搬出されても、需要が少ない中で材の値段が叩かれ過去最低の単価になっている現状です。これでは更に林業家の意欲が損なわれます。
先日、熊本県森林・林業活性化促進議員連盟総会で熊本市に対して県産材の利用活用について要望書を提出することになりました。本県においても公共施設・公共工事木材利用推進基本方針が出され、市町村でも基本方針の策定が進んでいるところです。ただ、民間の住宅着工数が減少している中で県産材を使ってもらうためには、外材に負けない品質と安定供給出来る体制を川上から川下まで協力して取り組むことが大切であると思います。
台風12号が紀伊半島に上陸し、大きな被害をもたらしました。お亡くなりになられた方に心からご冥福をお祈りすると共に、被害に遭われた方に心からお見舞い申し上げます。
さて、昨日は、午前中に男の料理教室に参加し、慣れない手つきで料理を作りました。味が薄味でしたが、普段が濃い味になれているから薄く感じると言われ、日頃の「食」にもう少し気を使って、家庭で料理を作ってくれている妻にも感謝しなければと思いました。
午後からは消防団による消火訓練に参加しました。現場に行ったらいきなり出場するはめになり、慣れない手つきで機械操作をしましたが、どうにか上手くいったのではないかと思います。最近、少子高齢化で昼間の時間帯に消防団がいる事が少なく手薄になり、いざ火事の時は水出しまでできるか不安があります。消防団がしっかりと普段から訓練して、火災時に団員が指揮を取れるようにならなければならないと感じました。ちなみに私が出場したチームが優勝してしまいました。選手の皆さんお疲れ様でした。
昨日から子どもの学年行事でキャンプに行ってきました。山鹿市にある岳間キャンプ場は夜になると温度が下がり少し寒かったです。別の用事をすませて遅くいったら子ども達がゲームで盛り上がっており、その側で少しだけ残っていたバーベキューの肉と野菜をつまみに一杯いただきました。小6年生にもなるとみんな体も大きくなり、思った以上に食欲が旺盛になっていたのには驚きました。
次の日、朝ごはんをみんなで食べた後は、熊本市の加藤神社で加藤清正をしのぶ「清正公(せいしょこさん)まつり」に山鹿のみこしグループと一緒に参加してきました。
22のみこしの奉納団体が参加し、宮出しの時はみんなで3基のみこしを担ぎますがケンカになりそうになるぐらいみんな勢いがありました。その後、上通り・下通り・新市街など約5`の道のりをみこしを担いで歩きました。みんなクタクタになり、夜の8時頃にやっと乾杯することが出来ました。みなさんお疲れ様でした。
日田鹿本線道路期成会総会が日田市役所で開催されました。日田市・山鹿市の市長を初め議長や県の土木事務所等の参加で開催され、今年は日田市が担当ということで、約100qの道のりを高速道路を使って行ってきました。日田鹿本線を通ると約70qと短縮できますが、台風の影響を考えて遠回りしました。内容は例年通りスムーズに進みましたが、両県とも予算の縮小や東日本大震災の影響で公共事業予算が留保されていると伺っており、少しづつしか進まないのが現状です。その他で(咸宜園の話題になり、日田市ではこの咸宜園の世界遺産登録を目指しているそうです。咸宜園は山鹿市にも縁があり旧鹿本町生まれの清浦奎吾伯爵(第23代内閣総理大臣)が咸宜園の塾生だったころ、鹿本町から咸宜園までを歩いて通った道とのことで、鹿本町では郷土の偉大な先輩の志を学ぼうと、毎年、「立志の道を歩こう」が開催され、往復されています。)盛り上がりました。
八千代座100周年チャリティー祭「願い」〜これからの未来〜 が開催されました。これは山鹿市にある4つの高等学校の生徒が自分たちで企画から手掛け、東日本大震災へのチャリティーイベントとして物品販売、寄せ書き、ステージイベントなどを催し、集まったお金で暑い夏を少しでも凌いでもらうため地元の来民うちわを被災地に届けるそうです。
中でも子ども達が東日本震災への思いを作文で発表したり、城北高等学校の被災地ボランティア活動報告など被災地への支援の輪が広がりそうです。
夕方からは夏祭りに参加し、暑かったせいか生ビールが美味しくて少し飲みすぎました。
岩手県宮古市へボランティア活動 |
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宮古市田老地区お寺の和尚さんの話 |
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城北高等学校の生徒会・先生・保護者、合わせて7名で岩手県宮古市へボランティア活動に行ってきました。先生が被災地の現状を子ども達に話したら現場でボランティア活動がしたいという事になり、PTAにも相談があり「子ども達が行きたいと言っているのならPTAも協力せにゃんたい」とすぐに話がまとまり、3泊4日の日程で活動してきました。
被災地では、未だがれきの山や解体中の現場もあり事前にアスベスト診断士の本山氏に、安全対策の話を聞いていたことが大変ためになりました。作業現場のすぐ側で家や店舗の解体作業をしており、風向きを意識しながら作業をすることができました。もちろん専用のマスクを着けての作業です。
今回一緒に参加していた方の中には、北海道から来て3週間目の人、大学の学生グループ、OLと様々な方がボランティアに来られていました。中でも自分の父親が津波に呑みこまれ行方不明になっておられるのにボランティア活動をされていた女性がおられ、生徒にこの現状をしっかりと伝えて今後に活かしてほしいと話されました。
3日目は、先生のご友人の方に被災地を案内してもらいました。中でも宮古市田老は日本一の防波堤を築いていた町でした。明治29年、昭和8年など幾多の大津波により壊滅的な被害を受け、多くの尊い命と財産を失ってきた地域です。「津波防災の町」を宣言され、津波のシミュレーションや避難訓練など万全な対策を執っていたのに数百人の方が犠牲に遭われました。当時の状況を高台にあったお寺の和尚さんに話して頂きました。家がなぎ倒され、すぐ側まで押し寄せてきた状況をリアルに話されました。また、前町役場の災害対策課長さんの話と合わせて聞くことが出来ました。
風化する歴史を語り継ぐため、田畑ヨシさん(85歳)が昭和54年に、津波の恐ろしさを孫たちに伝えようと、自身の体験をもとにした紙芝居「つなみ」が作られ、これまで読まれてきたことなど安全対策や危機意識があったはずなのにどうして逃げ遅れたのかと和尚さんも嘆いておられました。今後この地域の復興はどのようになるのか分かりませんが、田中ヨシさんが「命はてんでんこ」=「自分の命は自分で守るんだ」と祖父が残してくれた言葉が実際に体験したことで、その言葉の重みに気付いたといわれています。人が築き上げた物など自然の力には及ばないことを実際に現場を視て気付かされました。
今回、子ども達と一緒に貴重な体験をすることが出来たと思います。この体験を今後のボランティア活動の輪を広げることや熊本県でどんな災害が起こるか分かりませんが、この体験が少しでも役に立つことができればと思います。
今回お世話になった高昌院のみなさんを初め関係各位に感謝申し上げます。ありがとうございました。
来週から岩手県宮古市にボランティア活動に行きます。メンバーは私がPTA会長を務めている城北高等学校の生徒会役員3名・先生2名・保護者2名の計7名です。
ボランティア活動の内容は、がれき撤去・側溝の泥上げがメインになると聞いていたので、アスベストの被害が心配になり、九州アスベスト診断士協会会長の本山氏に約1時間説明を受ける事が出来ました。アスベストとは?から始まり、マスクの使い方やクギを踏む恐れがあるので長靴の底敷きの事など詳しく教えてもらいました。一緒に行かれる先生も「甘く考えていた」と言われ、個人の危機管理の向上と、少しは危険性を意識しながら作業ができるのではないかと思います。また、二次被害にならないようにと専用のマスクを寄付して頂きました。
先月、宮城県の被災地を視察に行った時に、ものすごいほこりの中を警備員の方がマスクもしないで仕事をされている姿を視て、二次被害が出るのではと不安を抱いていました。
厚生常任委員会で、今の内容を説明して、県から派遣されている職員の安全対策やボランティア活動に行く県民にアスベスト対策を周知してもらうようにお願いしました。ボランティア活動をして10年20年先に中皮腫になったら目も当てられません。前準備を万全にしてボランティア活動に汗を流してきたいと思います。
特別会計を含む健康福祉部の平成23年度の予算総額は、約1,380億円となり、昨年度当初予算と比較すると、116億円余の増額で約9.2%増、福祉の予算は増額傾向であります。
組織・機構については「子ども・障害福祉局」「健康局」「ねんりんピック推進局」及び「長寿社会局」の4局13課1課内室になっています。
障害のある人もない人も共に生きる熊本づくり条例の制定については、委員会で可決されました。これまで庁内だけではなく、障がい者の団体の方々をはじめとする様々な方々との意見交換を重ねてこられ、共生社会の実現を進めるためにも、第一歩を踏み出しだしたと思います。この条例が求められた背景には社会の無意識な差別があると思います。今後、県が新設する「地域相談員」と「広域専門相談員」に相談できるようになります。さらに話し合いで解決できない場合は、「相談委員会」が助言やあっせんに乗り出し、悪質な場合は知事が直接勧告できるようになります。私も委員会で、「合理的な配慮の判断が難しい場面も出てくると思うので、お互いが嫌な思いをしないように、相談員の選定はしっかりとした人を決めて頂きたい」と発言させて頂きました。
環境生活部の予算総額は、297億500万円となります。組織・機構については「環境局」「県民生活局」を設置し2局12課2出先機関になっています。
病院事業の概要については「県立こころの医療センター」の平成22年度病院事業会計予算繰越の件で繰り越して使用する内容でありました。付託された決議案すべて可決しました。
厚生常任委員会だけが2日間の審議になり、正直なところ、これまでの委員会は1日で終わっていましたので今回少し疲れました。でも勉強することが多くなり、私にとっては大変プラスになっていると思います。
ダンスチームの息のそろった素晴らしい踊りが披露されました。ご年配方の健康ダンスで、衣装もそれぞれ個性があり、おとぎの部屋に来たみたいでした。
その後、東日本大震災にボランティアで活動された方の報告会に参加しました。私も石巻市、女川町、南三陸町の被災地を視察していたので話される内容を具体的に聞くことが出来ました。時間がなく最後まで聞くことができなかったことが残念でした。
来月は、城北高等学校の生徒・先生と一緒に、岩手県山田町にボランティア活動に出かける予定です。子供たちが自発的に被災地で何か活動したいということで、学校側から相談があり、PTAとしても支援することになりました。保護者は2人と心細いですが、ケガのないようみんなでがんばってきます。
2期目、初めての一般質問をさせて頂きました。今回で7回目の登壇ではありましたが、毎回緊張します。いつも質問準備でいろんな課題をヒアリングしますが絞り込むのに時間が掛かり、結局6問(14項目)の質問になりました。この日は4人登壇して、東日本大震災と原子力発電関係の質問が多く、私もいくつか重複する項目がありました。
一般質問は以下の内容です。内容については後日ホームページに掲載します。
昨日から激しい雨が降っていて、高速道路が場所的に通行止めになり、普通の道路がかなり混雑しているようでした。
今朝からは、鹿本菊池地域に土砂災害警戒情報がだされました。そんな雨にも負けず、体育館の中では、第34回鹿北町茶祭りバトミントン大会が210人の参加の中で開催されました。例年と違ってオープニングに茶山歌保存会による歌が披露されました。
また、いつもの抽選会もあり、みなさん大喜びでした。今年はお茶の収穫時期が遅く、量も少ないと聞いていましたが、お土産に美味しいお茶を頂く事が出来ました。
明後日から定例議会が始まりますので、会派でお茶を美味しくいただくことにします。
6月5日から7日にかけて宮城県の被災地へ大西県議と行ってきました。宮城県議会議員:かんま県議の呼びかけで、是非現地を見てほしいという事で、南三陸町・石巻・女川を視る事が出来ました。また、途中で避難所(約460人)に立ち寄りました。その避難所は合併前に出来た総合施設(約8000u)で、合併してからはおそらく建設されていなかったのではないかと勝手に想像しましたが、大きな複合施設だったお陰で被災後、暗闇の中で自家発電で明かりがともるこの施設に当初700人以上の方が、寒い中水浸しになりながら逃げてこられたそうです。現在は支援物資も十分足りていて、トイレ、洗濯機、お風呂もテントの中ではありますが完備されているようです。しかし、長引く避難所生活で、いざこざがあるのも現状で避難所内で自治組織を立ち上げ決まり事をみんなで決めているそうです。他の避難所では、まだ上下水道の復旧が進まず、ウジ虫やハエ等が大量に発生して衛生面の心配をされるところもありました。
また、地元の方の話を聞くと避難所では酒とタバコが重宝されているとの事で災害から約100日経過すると相当のストレスが溜まられているのではないかと感じました。帰る家もなく、仕事もなく、仮設住宅に入ると自立しなければならなく、雇用面も含めて対策が必要と思いました。
実は、私の親戚もまだ一家で避難所生活をしていたり、宮城県の祖母は入所中の老人施設で度重なる地震と停電のため体調が悪くなり4月初旬に亡くなりました。友人も当初避難生活して今はどうにか自立していますが、ビールを飲んだり、美味しい刺身を食べたりしていた生活はまったくできず、避難所生活をしていない人でも生活がぎりぎりでその日の生活に困っている人も沢山いる事をみなさん知っておかなければならないと思いました。
被害現場では、車窓から見る光景は、テレビで見る状況以上で走れども被害現場が続き唖然としました。水の破壊力がこれほどまでに凄いのかと思い知らされました。今はまだ復興ではなく復旧の段階でありますが、今後どのような展望でまちづくりを考えて整備されていくのか相当難題だと思います。若者も仕事がなくなり、東京に仕事を求めて離れて行くそうで、ホテルを避難所に提供して頂いている女将さんがこの町はどうなるのだろうと不安げに話されました。
報道で知る姿と現場でしか感じられない姿と状況を知ることが出来ました。これからの支援も日々変わっていくと思うので、被災地の人々の気持ちを忘れることなく考え行動しなければはならないと思います。
鹿児島県川内原子力発電所の視察に大西県議と行ってきました。約145万uという広大な敷地の中を車で走り、守衛所の厳重なチェックを受けて中に入る事が出来ました。
9.11のテロ事件以来かなり厳重な監視がされており、警察の機動隊も常時警備していました。
今、1号機が13ヵ月に一度の点検を受けているためストップしており、社員はもとより協力会社の方が大勢作業されていました。2号機については稼働中で9月に点検を迎えることになっているそうです。定期検査中の玄海原発2、3号機が運転を再開できない場合や川内原発1号機も再開できない場合、九電が7月から「最大15%」の本格的な節電を求める方針のようですが、川内原発までストップとなると15%どころの話ではないと思います。ある程度の協力はみなさん出来ると思いますが、それ以上の協力を今後、電気量のピークを迎える夏場にどれだけ企業を始め九州民が協力して頂けるか、夏を実際迎えてみないと分かりませんが、相当暑い夏を過ごすことになりそうです。
現場では、災害時の対策を二重三重に整備してあり、すべての電気がストップした状態での訓練を実際見学する事が出来、徹底した訓練をされていました。
今後、速やかに国は原発のある自治体に納得のいく安全対策を打ち出さなければ、それぞれの自治体や議会が運転再開することに理解が得られないのではないでしょうか。
ローカルマニフェスト推進地方議員連盟の運営委員会に参加してきました。久々の東京で地下鉄等、省エネ対策で蛍光灯が外されていたり、伝言掲示板に東京電力の現在の電力使用状況を載せたりと国民に省エネを促していました。熊本県も夏場に向けて省エネ対策を県民のみなさんに呼びかけて理解してもらう事や、省エネ条例も視野にいれて考えて行かなければならないのではないかと思いました。
ローカルマニフェスト推進地方議員連盟の会議では、早稲田大学マニフェスト研究所長の北川正泰先生の講演と防災都市計画研究所長の吉川さんの「東日本大震災現地調査結果から今後の防災対策のあり方を考える」と題して講演頂きました。また、宮城県議会議員の管間さんが「東日本大震災を体験して、地方議会議員としてなにができるのか」と題して、被災地を廻られたお話を写真を見ながら分かりやすく聞く事が出来ました。しかし、写真だけでは伝える事が出来ないことが沢山あり、ぜひ現場を視て頂きたいとのことでした。
これから生活再生も大事だが、20年30年先のまちづくりを考えるべきであり、事前復興対策条例を作り、事前復興計画を冷静な時に議論するべきであるというお話を吉川さんから聴きました。熊本県が来年防災計画を見直しますが、少子高齢化という人口減少の中、長期的な展望を持って、県も防災計画と事前復興計画をリンクさせて作っておく必要があるのではないかと思いました。
今日は臨時議会最終日でした。委員会配属が決まり、私は厚生常任委員会に配属されました。二回目の厚生常任委員会ですので内容もより深く審議したいと思います。6月議会では「障害のある人もない人も共に生きる条例(仮称)案」が提案される予定ですし、厚生常任委員会は審議案件も多いので、しっかり勉強して臨みたいと思います。
一般質問の割り振りも決まり、私は6月の一般質問の初日4番目に登壇します。これから現地調査やヒアリングを重ねて質問の準備をしていきます。もし何かご意見、ご質問等がございましたら事務所にご連絡下さい。
臨時議会が開催され、新しい議長・副議長が決まりました。冒頭に故・竹口県議への追悼の言葉が述べられました。私は4年間のお付き合いでしたが、竹口県議の質問はいつも勉強になり、楽しみにしていました。又、県議団野球では、野球が下手な私を励ましてくれるなど心優しい方でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。1期の間にお二人の県議とお別れになりましたが、忘れることなく議員活動をしていきたいと思います。
昼からは、会派でいくつかヒアリングをして勉強しました。地元に戻ってからは県政報告会を開催させて頂き、私の2期目の抱負を述べさせていただきました。また、いろんなご意見を聞く事ができましたので、6月の一般質問の参考にさせていただきたいと思います。
第25回国見山開きが新緑に囲まれながら開催されました。鹿北町で唯一1,000m級を誇る国見山(1,018m)には、樹齢300年のシャクナゲや三つ葉ツツジが咲き誇り、県内外から来られる登山者の目を楽しませてくれます。
私も久しぶりに登りましたが、約2時間のコースでへとへとになりました。しかし、妻がおにぎりを持たせてくれたので、山頂で美味しく頂くことができ、心も体(少し筋肉痛)もリフレッシュできました。関係者の方々に感謝し、明日からの仕事に励みたいと思います。
第32回西南の役山鹿口戦没者慰霊祭が関係者多数の御参席のもと厳粛に執り行われました。134年前において各地域で激しい戦いが繰り広げられる中、田原坂と同様にこの地で尊い生命を散華されました。薩摩軍と政府軍の激しい戦闘で540余名の尊い命が奪われ、また負傷者も出たと思います。そんな中、西南の役で両軍関係なく負傷した方の看護にあたったことが、今の日本赤十字の発祥とされていると聞きました。
今、日本では、大きな地震による未曾有の災害が起こりました。しかし、人的支援や支援物資等をすぐさま 日本赤十字を通して被災地に届けるなど、災害時に一番に活動する団体になっています。その原点がここから生まれたことを誇りに思います。
4月22日「日本人よ、目を覚ませ!」と題して、元航空幕僚長の田母神俊雄さんの講演を聴きました。これは、(社)山鹿青年会議所が40周年を記念して企画した講演です。
私も、シニア会として参加し話を聞くことが出来ました。東日本大震災での福島第一原発の話では、放射能の量と人体の影響での制限区域の考え方や、日本の外交の弱さ等大変興味深く話を聞くことが出来ました。一番印象に残っているのは、過去の政権与党がじわじわと日本をだめにし、今の与党がその総仕上げをしていると 、、、、。ここで真剣に日本の事を考える政治家が一緒に組むことが出来ればと、今の日本の政治に危機感を持っておられました。この日は、JC熊本ブロック大会2011年度会員大会も同時開催されており、懐かしい先輩たちとお会いすることができ、ついつい飲み過ぎてしまいました。
今日は、南関町にある(株)丸美屋さんに企業訪問に行きました。
20年前に、中学校の跡地を買い上げて工場を建てられたという事で、今でも体育館はそのまま使われているそうです。原材料は、昔は中国産を使用していたけど、現在ではほとんどアメリカ産を使っているそうです。生産として、一日約150俵の大豆を使っていたのが、東日本大震災で東北の工場が被害に遭われ、今は約220俵の大豆を使っているそうです。それでも東北地域では1人1個しか買えない状況ということで、生産が追い付かないとのことでした。また、地産地消の取り組みで、熊本市内のすべての小中学校に出す納豆は熊本市内で採れた大豆を使用するなど地域にも貢献されていました。
山鹿市民医療センターがグランドオーブンしました。このセンターは鹿本地域の災害拠点病院に指定されてます。東日本大震災の事を思うと、今後DMATの整備も検討する必要があるのではないかと思います。
これまでの歴史ある山鹿市立病院に感謝し、これからの山鹿市民医療センターに期待と夢を膨らませたいと思います。
4月12日県議会議員2回目の当選証書を頂きました。前回も受取りに行きましたが、あっという間の4年間でした。初心を忘れずこれからも県民の皆様のために頑張ります。
東日本大震災の支援やそれによっての県内企業の影響など、これからの県の取り組みが大事になってきます。スピード感を持って対応することがとても大事です。県民の総幸福量だけでなく、日本の総幸福量を考えながら議会に臨まなければならないと思っています。
41人の生徒が入学式を迎えました。年々子ども達が減少しています。小学校も町に3校ありますが、小学校1年生がそれぞれ10人に満たない中での入学式でした。統廃合が進む中ではありますが、過疎化に歯止めをかける対策が急務です。
明日は出陣式です。沢山の方にお越しいただけると思います。東日本大震災でお亡くなりになられた方、いまだ悲しい思いをされている方の事を思い、熊本県議会議員立候補は、遊説を朝は10時から夜は18時までと自粛することを申し合わせております。
県民の皆様のご理解をよろしくお願いいたします。
私が所属しているベトナム育英会の代表が東日本大震災で被災された現場に行かれたお話を聞くことができました。
九州身体障害者療護施設協議会が緊急支援物資を実施することを決め、熊本では愛燐館が支援物資を集め1tトラックに物資を積んで二人で行かれたそうです。目的は被災地の東北ブロックの施設に支援物資を運ぶことと、トラックはそのまま使ってもらうために現地に置いてくることです。石巻・東松島に行った時に、テレビ局の取材がどんどん来て悲しみを気軽に撮っている光景は信じられなかったそうです。「アイツらなんだ」という人もいたそうです。でもみんな我慢している姿を見ると心が折れそうですと言われていました。また、支援物資が10m先の数台のトラックに積まれたままで、他の地域に持っていく事が出来ず日持ちがしないもの等、痛んできている物もあったそうです。何千人もの人が避難生活をされている中で、仕分けする人も不足して、近くに食料があっても思うように食べられない状況があるそうです。県民のみなさんも何を求められているかをしっかりと判断されて対応して頂きたいと思います。
熊本県では、総合窓口が設置されました。下記内容でみなさんのご相談に応じてくれます。 更に詳しい内容は、熊本県ホームページをご覧ください。
県民の皆様からの各種支援に係る問い合わせやお申し出に対応するとともに情報を発信する総合窓口を設置します。
平成23年3月28日(月曜日)
午前9時 開設
電話 096−333−2811
相談受付 午前9時〜午後5時(土日祝日を除く)
地元小学校の卒業式に来賓として参加してきました。全校生徒83人中、15人が卒業いたしました。鹿北町3校合わせても卒業生41人で、来年度の中学1年生は1クラスになりそうです。全国的な事ではありますが、過疎地対策を今以上に取り組んでいく必要があると強く感じました。
今日は、山鹿・植木広域消防署に訪問し、東北地方太平沖地震の現場に第一陣として活動してきた隊員に現地状況の話を聞くことが出来ました。
熊本県で29隊、106人で車両32台(山鹿・植木消防署からは、救急車1台と3人)が3月14日に玉名PAを出発しました。連帯で行く予定が車両によっては燃費が3km/Lしか走らず、途中の目的地を決めて移動したそうです。一端神奈川県の消防学校に待機をし、次の日、とにかく東京方面に向かってくれとの指令で出発し、途中連絡が入り仙台の泉消防署に向かってくれとの事だったそうです。活動拠点となった泉消防署の体育館は−1℃しかなく、余震で2〜3時間に1回程度揺れるのであまり眠ることも出来ないとの事でした。
1日目は、行方不明者の捜索で、仙台東ICを中心に半径100メートル内での活動は海水がまだ引いていない状況で、流された車・家等に人がいないかなど、まだまともに歩ける場所がないところでの捜索は寒さも重なって長い時間は出来ない状況だったそうです。
写真も見せてもらいましたが、雪が降ると「色がない白と黒の世界」が目の前にあったそうで、ここに街と生活があったなんて微塵もなかったそうです。
2日目は、前日道が通れるようになったという事で、仙台港に煙が上がっている現場に出動され、消火活動と人命救助に向かったそうです。煙のくすぶりをおさえたけれど、1人の遺体を発見したそうです。仙台から随分離れたコンビニに隊員が訪れたところ、行列が出来ており、おにぎりも1人2個までと限定されていて救援隊と分かると、みなさん「お先にどうぞ」と言ってくださり最後には店員さんが出てきて、何人ですかと聞かれ3人ですと答えると、一人2個のところを3個買えたそうで、被災者の方の温かさに感動したそうです。その分士気も更にアップしたそうです。
問題点は、救援隊が津波の被災地を捜索する時は、津波注意のための安全管理者を付けなくてはならず、地元の消防隊が足りない状況になっている。水・食料・ガソリンが不足し、受け入れ態勢が整っていない状況。
今回第2次隊が出発しているが、九州の県はとりあえず終了だそうです。
とにかく日ごとに現地の欲しい物が変化しているので、3日先を見越して支援物資を送らなければならない事や、熊本県や各市町村でも公営住宅を被災者のために開放していきますが、長丁場になりそうなので、仕事の提供もしていく必要があるのではとの事でした。
熊本県で私たちが出来る事を現地と連絡を密にとり、県での受け入れ体制も万全にしていかなければならないと感じました。
大会も黙とうで始まり、約2,000人近くの方が県内外から訪れました。子供たちによる募金活動も行われました。
JA鹿本会館で瓜類・野菜出荷協議中、東北地方の地震の速報が入ってきて、休憩中にテレビを見たら信じられない状況でびっくりしました。すぐ仙台の友人に電話しましたがつながらず心配をしていましたが、仙台・茨城・青森の友人はメールで連絡が取れました。まだ連絡が取れず安否がわからない親戚もいるので心配です。
地元の振興局長と明日の新幹線イベントの開催は中止になるのではと話をしていたら、案の定中止の連絡がきたとの事で当然のことであろうと思いました。これから、どのような支援をしなければならないか個人的にも行政的にもしていかなければならないと思います。
JA鹿本で春夏瓜類・野菜出荷大会が開催されました。作付面積 総合計514haの計画で進められます。各部会と卸売会社との意見交換がされ、生産情報を的確に伝えて欲しいとか、消費者は大きい物よりも小さくて美味しい物を求めている人が増えている等、活発な意見が出されました。
昨日から代表質問が始まりました。各4会派の質問があり印象に残っているのが、政令市誕生後の県土ビジョンが本年内にはビジョンを作るということで、私が昨年質問した時は23年度内に作成するとの答弁でしたが少し早くなったようです。作成に当たっては執行部のみなさん大変だと思います。なぜなら県内各市町村と足並みをそろえていかなければならないし、広域的にも事を進めて行かなければならない市町村もあると思うので、我々議員も協力し実行性のある県土ビジョンを作らなければならないと思っています。
今日は我が会派の大西代表が質問に立ち、TPPに対する県の考え方・組織改革と人事戦略について・入試制度改革をめぐる諸問題など全8項目の質問で見応えのあるやり取りでした。
私も選挙戦勝ち残って6月定例会の一般質問で質問が出来るようがんばってまいります。
二つの高等学校の卒業式に行って来ました。県立鹿本商工高等学校は議長代理として出席し、城北高等学校はPTA会長として出席しました。同じ時間だったので、バタバタしてご迷惑をおかけしたのではないかと思います。
両校とも感動の卒業式でした。城北高校では第二部が生徒手作りの卒業式で生徒代表4人のスピーチは大変感動し、頼もしく思いました。卒業しても郷土を忘れることなくガンバって下さい。
第2回の野球大会が45チーム参加の中、盛会に開催されました。昨年10月に亡くなられ、功績を讃え皆さんで黙祷を捧げました。「あっぱれ」「喝」を聴くことができなくなり淋しくなりましたが、天国から子どもたちを見守ってくれることと思います。
その後、菊鹿町で山鹿の森林づくり植樹祭が行なわれました。桜(ソメイヨシノ)を50本、緑の少年団と関係者で植えました。「20年後は立派な桜の花の下で花見ができるなあ」と、大人は勝手な事ばかり言ってましたが、私もその頃64歳になっているなあ〜と思い、健康には気をつけたいと思いました。
皆さん長生きされることをご祈念申し上げます。
沢山の参加者の中、新春の集いがありました。国会議員・県市町村議員・各首長さん方が沢山来られていました。坂本代議士が自民党に入られてから顔ぶれが変わってきたけど、後ろのテーブルにはいつもの方々が沢山参加されていて、いつ選挙になっても大丈夫、心強いと思いました。
菊鹿(きくろく)地区10校のPTA役員と先生達が一同に集まり、情報交換や勉強会が開催されました。私も会の副会長として参加しました。ドコモから携帯安全教室があり、子どもたちの携帯電話の危険性や家庭での携帯電話のルール作りなどを学びました。
2月24日から3日間、シルバー作品展が開催され、絵や工芸品等沢山の素晴らしい作品が出展されました。これまで旧市町単位で展示会をされていたようですが、今回から山鹿市全体の作品展ということで迫力がありました。
10時から委員会が開催され、警察本部・教育委員会の審査を行いました。特に、県教育委員会所管の6運動施設の指定管理者選定について議論がなされ、選ぶ側と選ばれる側の双方に県教育委員幹部が重なっているという事で公平性に欠けているとの指摘がありました。
また、私も県ホームページでの選定結果公表は総合点だけで、各選定委員の採点結果や応募団体の事業計画が非公開になっており、点数の差がどこで発生しているのか分からないと指摘しました。公表することによって競争意識が生まれ、より施設の使い勝手が良くなると思います。教育長からはしっかりと検討しますとの答弁でしたので、公平性が保たれるまで追求していきたいと思います。
山鹿灯籠踊り保存会通常総会懇親会に出席しました。灯籠踊り保存会の皆様は年間203回の出演回数で、国内だけでなく海外でも活躍されています。皆さん仕事をしながら、練習と本番で本当に大変な努力をされています。
新幹線が開通したら更に忙しくなりますが、観た人達に感動を与えられますよう、これからもガンバって下さい。熊本のために私もPRしていきます。
城北高等学校の緒方理事長の瑞宝小授章受賞祝賀会に出席しました。PTA会長として心からお喜び申し上げます。また、城北高校のダンス部の披露があり、上海万博で披露した踊りを演じてくれました。その後、地域の要望を聞くために地元に帰り、共同アンテナの老朽化や崖地対策の要望などを受け、その他有意義な話をすることが出来ました。
「小さな親切」運動30周年記念大会が山鹿市鹿北町で開催されました。旧町の時、副支部長として活動させて頂き、久しぶりに当時の事を思い出しました。
この運動は子供達からお年寄りまで、豊かな心と触れあいで明るい地域づくりの輪を広めることを目的に地域全体で取り組んでいます。「小さな親切」が社会の習慣になればと思います。
その後、大西県議の事務所開きに出席し、色々な方とお会いすることができました。熊本市での選挙と山鹿市の選挙では、事務所の場所の環境から違い、活動の仕方もかわってくるのだろうと思います。ただ同じことは、これまでの4年間の活動をどう評価されるかだと思うので、これまでの4年間の評価とこれから4年間、県民の皆様の声をしっかり聞いていくことが事務所を開いた意義があるのではないかと思います。
九州新幹線全線開業に先立ちまして試乗会に行ってまいりました。この日は3月12日の切符の発売日になっていたため熊本駅にはたくさんの報道陣の方がいらっしゃいました。ニュースで知りましたが、「みずほ」1番列車の新大阪発の下り指定席306枚が15秒で売り切れたそうです。それほど九州新幹線を待ち望んでいる方が多数いらっしゃるということで嬉しい限りです。
その期待通り、N700系の車両は今まで熊本〜博多間が1時間13分かかっていたのが33分に短縮され大阪までは1時間も短縮されます。新幹線の中も木をふんだんに使った内装で落ち着きます。多目的トイレも広く小さい子供さんも一緒に入れるので親子連れには助かると思います。喫煙ルームはもちろんのこと、気分のすぐれない人用の個室も完備されていてホテルのようでした。
あるビジネスマンの方は「これから大阪、東京は日帰り出張になりつらいなあ・・・」とこぼしてましたが、こんなに快適なら新幹線往復でも疲れはでないのではないでしょうか?とにかく観光客をたくさん呼んで熊本が活性していくようにどんどんアピールしていかなくてはいけないと思いました。
それにしても各駅まだ道路も内装も完成までにはもう少しの様子で、3月12日までに間に合わせるために急ピッチで作業が進んでいる状況でした。来月がとても待ち遠しいです。
熊本県保育研究大会が地元・山鹿市の八千代座で開催されました。400人余りの保育の先生等が参加をされていましたが、年々出席者が減っているとの事でした。今年から日帰りでの企画で記念講演・分科会が開催されましたが、温泉がある山鹿としては泊ってもらって日頃の疲れを癒してもらうほうがありがたかったと思いますが、参加状況を考えるとそうはいかないのかなと思いました。
国が新制度の提案として「こども・子育て新システムの基本制度案要綱」が出されていますが、この保育制度に反対し現行保育制度の拡充を求め、地域に根ざした保育の向上に一層の努力と研讃を重ねることを宣言されました。
第26回鹿北町駅伝大会が快晴の中開催されました。これまで体育指導員でしか行ったことがなかったのですが、23チーム参加の中で私の地区が初参加をしました。もちろん私も出る羽目になり心臓が飛び出そうになりましたがどうにか走ることが出来ました。私が足を引っ張ったけれど、結果として5位入賞と初めてにしては上出来で、その後の打ち上げも盛り上がり来年もがんばろうという事になりました。明後日ぐらい筋肉痛になるなー。
例年とても寒かったですが今年は珍しく温かい中、赤穂17義士慰霊祭が遺髪搭の前で執り行われました。今年は山鹿市で忠臣蔵サミットが開催される関係で、山鹿市を始め7自治体の首長や関係者が参加されました。 討ち入りした赤穂義士47人中17人が江戸の細川家下屋敷に切腹する1ヶ月半ほど過ごしました。その身の回りのお世話をしたのが藩士・堀内伝右衛門でした。切腹する前の義士たちから少しずつ頭髪をもらい受け、自分の知行地の山鹿市杉にある日輪寺に頭髪を納めた遺髪搭を建てその冥福を祈ったそうです。その後明治45年から現在に至るまで義士たちの切腹の日、2月4日には日輪寺で義士祭りが営まれています。武士道を貫いた義士たちに私も感銘を受けました。
玉名地域振興局で、荒尾・玉名・鹿本地域の授産施設等の商品展示会と商談会がありました。例年では県庁で行われていましたが、今年から各地域で始まりました。工賃アップをするために、県や市町村が優先して発注が出来るように取り組んでいるとのことでした。現実的にはまだまだこれからと言うことですが、目標である工賃10%/年アップになるように私たち議員も行政と一緒になって取り組まなければならないと思います。
今朝は大変寒い中、無所属改革クラブの吉田県議の事務所開きに参加し沢山の吉田ファンのみなさんとお会いすることが出来ました。私も2月11日に事務所開きを予定していますが、大変参考になりました。お昼からはいくつかの行事をこなし、夕方からは木村仁先生の旭日重光章受章のお祝いがあり、その後我が会派の代表である大西県議の新春の集いに参加しました。マニフェスト推進議員連盟でお世話になっている北川正恭先生の講演もあり「地方から日本を変えていく」ためにも更に勉強しなければならないと実感しました。
山鹿市内の小学校で租税教室を行いました。 これは法人会主催で子供たちに税金の使いみちや役割を知ってもらおうという取り組みです。私も法人会に所属しており、青年部の部長を始め4人でビデオ等を活用して説明しました。子供たちも税金がなかったら安心して生活出来ないことを理解してくれたと思いますし、積極的に質問してくる子供たちに 感心しました。これからも関心をもち続けてもらいたいと思います。
県内の農業先進地を2か所視察しました。一か所は「しおキャベツ」農家で、甘みがありジューシーでとても美味しかったです。農産物に「しお」は合わないイメージがありますが各地域で「しお」を使った農業をされている方々がおられ、付加価値の付いた農産物になっています。二か所目は、オオバやパセリを生産されている会社に行きました。おおばの良い香りが漂い加工品まで手掛けられていました。
お二人に共通する点は、自分が作る農産物に自信をもって販売されている点と生産から販売までしっかりと管理されており、売り手市場で品物が販売されている点であります。野菜一つをとっても農業は幅広く、多種多様であります。
これから熊本県の農業全体の底上げをしていくためにはどうしたらいいのかは難問でありますが、しっかりと現場の声をこれからも聞き議論しなければならないと感じました。
無所属改革クラブで、土地改良区のみなさんと意見交換をさせて頂きました。組合員数1,000名以上 面積1,000ha以上と大きな団体です。用排水施設の管理が一元化され、整備された豊かな農地を活かした農業振興に期待をされています。穀物類や施設園芸が多い中、反収を増やすためにも野菜等をもっと作れるように整備したいとのことでした。また、水土里ネットの森づくり、子どもたちの学習会等活発にも活動されています。 また、地域農業振興協議会を設立され、農地集団化や生産組織の立ち上げ等の情報の共有や利活用の場になっており非常に効率的で素晴らしい取り組みではないかと思います。地域によって農業スタイルの違いはあると思いますが、現場の状況に合った問題点を上げ、それにあった政策を取るべきであると感じました。TPPの考え方など現場に行くといろんな話がきけて参考になりました。
567人の参加の中、盛会に成人式が執り行われました。山鹿灯篭保存会による踊りのサービスもありその場が和みました。成人式を迎える人たちが自ら実行委員会を立ち上げ式を企画したそうです。私の時と比べるとしっかりしているな〜と思うけど、結構派手な人が目立った成人式でした。
いちごとスイカの生産現場の視察に行きました。この2件の農家は、塩を使って無農薬での生産をされています。特にいちご農家では「塩いちご」を売りに付加価値を付けて出荷されています。塩を使う事によって無農薬での生産ができ、より安全安心でコストダウンでき、しかも糖度が14と大変美味しかったです。買い手より売り手優先で、量産より利益率を重視されている農業経営だと思いました。
各地域で初よりが始まり、どんどやも含めて各集落の集まりに参加してきました。毎年、中山間地を中心に年頭の挨拶廻りをしますが、それぞれ少子高齢化に歯止めが掛からない状態です。
「農林業がもう少し良くなれば若っかもんも残ってくれるばってんなー」という声をあちこちで聴きました。そんな環境の中、各地域助け合いながらがんばられている状況を目の当たりにすると、これが本来支えあっていく日本人の姿であると思うのと同時に、これ以上地域間格差が拡大すると、都会の地域だけ栄えて、やがて国が滅ぶのではないかと危機感を抱いています。
毎年、自ら一年の計を誓い、気力を引き立てるために参加しているのが、昭和45年から続けられている鹿本郡市空手道連盟の初稽古です。私も高校1年生から28年間欠かすことなく参加しています。1月2日の早朝から、各道場の子供達と一緒に山鹿大宮神社に参拝後、菊池川に浸かり禊稽古を行いました。心身共に引き締まり、新しい年を踏み出す事ができました。